2013年6月18日火曜日

wearer「the blue album」





いつもお世話になっております。
wearerのYKです。

2013年6月19日水曜日。
wearerのCD「the blue album」がとうとうお店に並ぶ。
正確に言うと、18日の夕方にはもう並んでいるのかもしれない。
とにかく、あと少ししたら、僕たちのCDがお店で買えるようになる。
大変なことだ。

実は、僕は、もうずっと前から、バンドなんてやる前から、もし自分がアルバムを出すようなことがあったら、1番最初のタイトルは「the blue album」にしようと、密かに妄想していた。
病気だ。
それが、現実になる。

子供の頃、とりあえず本屋やCD屋に、ひとつでいいから自分の作品が並んだら、それでいいなー、と思っていた。
(僕は小説家かミュージシャンか、あるいはその両方になりたかった。)
子供だから、食えるとか食えないとかっていう話など、夢にも考えていない。売れるとか売れないとかいう話も気にしていなかった。
お店に自分の作品が並ぶのが見られたら、それでいいと、思っていた。

小学校の卒業文集、「将来の夢」の欄に、僕は「売れない小説家」と書いた。
それは、単に「小説家」と書くのが照れ臭かったからだと思うのだが、それ以上に、「売れてなくたっていいから好きなことをやっている自分でありたい」という願望のあらわれだったのだろうと思う。
子供の頃から、お金儲けに興味が持てなかった。
馬鹿だ。

その念願叶ってか、僕は今「売れないミュージシャン」だ。
ただ、子供の頃の想像と少し違ったのは、お金がないだけでなく、少しも自由じゃないし、おまけに嫌なこともたくさんしなくてはならない、ということだ。


wearerをはじめた時、僕はもう20代の終わりを迎えていた。

大学生の時少しだけバンドをやっていた僕は、卒業し、社会人になり、みるみるバンドから遠ざかって行った。
バンドをやろうとしたこともあった。
でもいつもうまくいかなかった。
とにかく僕が馬鹿だったのだ。
目先のことばかりにとらわれて、本当に浅はかだった。あの頃の僕は、浅はかさに手足が生えたようなもんだった。

本当は、僕だってバンドがやりたい。
でも、単なる就労意欲の乏しいだけのサラリーマンになっていた僕は、バンドをやるためにどうしたらよいのか、もはやわからなくなっていた。
同級生がメジャーデビューしたり、先輩がインディーズでガンガン売れていく様を横目で見ながら、僕は自分に言い訳ばかりするようになった。

もういい歳なんだから、やるならかっこ悪いことはしたくない、とか。
そもそも社会人をやりながらまともなバンド活動ができるわけがない、とか。
それ以前にメンバーが集まらないのだから仕方がない、とか。
だって上手なひとたちとやらなければ意味ないじゃない、とか。

そうして、お酒ばかり飲んで浮かれただけの日々が、泡と消えていった。

でもある日ふと思った。
僕はとにかくバンドがやりたいのだ。
細かいことはどうだっていいから、メンバーなんて揃わなくたっていいから、どんなにださくたっていいから、バンドがやりたくてやりたくて仕方がない人と、一緒にスタジオに入ろう。
何かきっかけがあったわけじゃないけど、僕はそう思った。
バンドは、やるかやらないか、ただそれだけだ。
言い訳はもうやめよう。
そう思った。

その時、僕が真っ先に思いついた「バンドがやりたくてやりたくて仕方がない人」とは、他でもないえいちゃんだった。
歌えるベースの女の子をバンドに入れたかった僕は、ベーシストでもなんでもないえいちゃんに、無理矢理ベースを始めてもらい、バンドに入ってもらった。
その時はシモダくんという僕の大学の同級生がギターで、ドラムはいなくてリズムマシーンで、持ち曲なんてひとつもなく、僕らはただスタジオに入り始めた。
それがwearerの始まりだ。

それから夢のように日々は過ぎた。
なんの目的もなく、ナンバーガールやラプチャーのコピーをやっていたこともあった。
無意味に深夜練習をして、朝マックを食べてみたり。
いきなり僕の左の肺が破れて、もうバンドをやることができない、と思ったこともあった。
時にメンバーが増えたり、時にメンバーが去っていったりした。
やがてライヴハウスに出るようになり、とにかくそのことが嬉しかった。
しこたまノルマ払わされて、いいようにあしらわれても、それでもライヴハウスは僕をバンドマンでいさせてくれると、思っていた。そのことが嬉しかった。
毎回お客さんが3人くらいしかいない地獄みたいなイベントを、隔月でやらされ続けたこともあった。
でも楽しかった。バンドがやれるから。

とにかくすべてがオーケーだった。
だって僕は、あれほどやりたかった、ロック・バンドをやってるんだから。

僕は大人になってしまったかもしれないけど、それでも、ミュージシャンに憧れていた子供の頃と、たぶん何も変わっていないのだと思う。
相変わらず、自分がバンドマンであることが最高に嬉しいし、相変わらず、お金儲けのことも、大人の事情のことも、よくわからない。
確かに言えることは、wearerには、そして僕には、たくさんのすばらしい出会いがあってここまでくることができたし、wearerは僕の夢であり、できることなら生涯かけてこの夢を育てたい、ということだけだ。


季節は流れて、いつか夢の形は、みんな変わっていく。
みんな大人になって、夢を忘れたり、あたらしい夢を見るようになったりもする。
それでいいと思う。
でも、たまには、僕みたいに、相も変わらず子供の頃の夢を追いかけてるのがいても、いいよね、すいません。
なるべく届くように歌うよ。
だから、もしどこかで僕らの歌が聴こえた時には、「馬鹿だなー」でもなんでもいいから、少し心が動いてくれたなら、嬉しいな。

CDを出すということ、本当はすごく迷いました。
たくさんのすばらしい音楽作品が、SoundCloudやYouTubeなどを通じてフリーでシェアできる時代に、僕らみたいな平凡なロック・バンドが人様からお金をいただいてCDを売るということに、何の意味があるというのだろう。
本当に考えさせられました。
でも僕らは、ポップ・ミュージックを鳴らす人間として、より多くの方々に自分たちの音楽を届けたいと衝動に従って、CDをリリースするという道を選びました。
だから、できる限り心を込めて、形を含め、手にとってくださった方に長く愛されるような作品を作りたいと、制作に挑みました。
その結果が、「the blue album」です。
やってよかったと、今は心の底から、そう思っています。


とりとめがないので、この辺で筆を置きます。
wearerを始めたとき、バンドがやれることが嬉しすぎて、CDを出したいっていう願望すらなかった。
そんなことができるだなんて、思いつきもしなかった。
その僕らが、とうとうCDを出します。
今までwearerに関わってくださったみなさん、wearerの音楽に触れてくださったみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます。

そして何より、僕のような、何の取り柄もない、凡人以下の人間に歌を歌わせてくれているメンバーにも、改めて感謝を。
いつもありがとう。これからもよろしく。


2013年6月19日水曜日。
wearer「the blue album」発売です。
ここからまた、あたらしいwearerの旅が始まります。
みなさん、何卒よろしくお願いいたします。



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